「ふるさとの小径を行く」 -028/168page
霊山城を守る砦
古屋城跡と煙火台古屋の石河洋一氏の裏手の山に南北朝のころの館跡と言われるところがあります。館主は石河掃門(かもん)守時房で、北畠顕家に従って新田より下り、多賀城を経てこの地へ来たと伝えられています。一族のうち当地に残ったもののほか、出羽国(秋田方面)へ移っていったものもあります。なお、石川と記した同族もあるようです。
霊山城を中心にした戦略的館のひとつといえます。
ここから南へ約ニキロ程進んだ川俣との境の山頂に、煙火台と呼ばれるところがあります。百キロくらいの石でおよそ四平方メートルの平地を囲むように作られています。有事の際の物見台だったらしく眺望の開けた適地といえましょう。