「ふるさとの小径を行く」 -031/168page
立花侯の陣屋
下手渡藩陣屋跡と懐古之碑下手渡藩は、九州三池藩が文化三年に当下手渡村ほか九ヶ村一万石をもって移封されて陣屋を開き、以来、明治元年まで六十三年間続きました。その陣屋のあった所がここ天平の懐古之碑の周辺です。
移封の原因としましては、幕府の若年寄を勤めた立花種周侯が政治的に失脚したためとされています。
下手渡藩初代の藩主は、立花豊前守種善(たねよし)(順之助)です。種善侯は、文化三年に移って以来藩の整備に努め、三十九才で江戸で亡くなりました。
ニ代は立花主膳正種温(たねはる)(総之丞)です。天保四年に家督を相続しますが、丁度天保の飢饉に遭遇し、家老の屋山大進とともに領民の救済に尽力、領内から餓死者を出さず名君と慕われました。三十九才、江戸にて没。
三代は立花出雲守種恭(たねゆき)(種之助)嘉永二年に家督相続、文久二年には幕府大番頭、若年寄、外国事務管掌を命ぜられるなど若くして幕府の要職につきました。長州征伐の後、幕府は急激に倒壊しますが、