「ふるさとの小径を行く」 -040/168page
渋谷稲荷と法常院跡
御代田字前柳の一段と高いところに赤い鳥居の稲荷神杜が鎮座まします。
当社は、現在は堰本に住んでいる渋谷氏が江戸時代に川俣との絹取引で財を成したことを感謝してその宅地に招致したものと伝えられています。
鳥居をくぐって社殿へ至る道の両側には、湯殿山山神塔、庚申塔、等の石塔に混じって子安観音が赤児を抱いて立っています。境内は杉に藤がからみ合っておのずから木陰となり、神域をつくっています。
この稲荷神社の南、一段低いところに昭和三十年頃まで「法常院」という天台宗の法印のいた院がありました。五幸山の麓にあった成竜院の後、五幸山観音堂の管理にあたってきました。信達二郡村誌には、「法常院、御幸山に在り(中略)天台宗延暦寺末寺なり、天正七年己卯三月十七日開山義圓創立す」と記されており初めは前柳ではなかったように思われます。法常院は、五幸山の観音堂はじめ御代田の蛇王権現等の管理に当たるとともに加持祈薦などの諸儀式を行なっていました。法常院がなくなってから五幸山は糠田の高山院によって管理されています。