「ふるさとの小径を行く」 -050/168page
る観音像は「焼け観音」と呼ばれるように、木造の立像の下半分が焼けております、五幸山の火災のとき飛んできて、この堂脇にある杉の大木に当たったのだという伝説もあり、そのときの穴といわれるものもみられます。
この二堂の間にあって高さ三メートルになんなんとする大きな昭忠碑は、畑大将の書によるもので、日清日露戦役の際の戦死者と従軍者を讃えた碑です。その台石に使われた花崗岩は、かつて、当地をめぐって御代田と月舘が争ったとき、裏手より御代田、表手より月舘の代表者が駆け登り、その勝者の方にこの地を所属させることになりました。その結果御代田の勝となり、愛宕神杜は御代田のものになりましたが、そのことを石に刻んで永久に残そうとしたものです。しかし、昭忠碑建立の工事で石の向きが変わり、僅かに文字らしいものを認める程度になっています。
境内入口に建てられた石灯篭は天明三年と天明八年のものですが、ともに築舘村と刻まれて旧村名を今に伝えています。