「ふるさとの小径を行く」 -067/168page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

大湖滴水の墓標

 犬飼嘉作の墓碑であるといわれています。東犬飼から、大城へ抜ける山道の途中、本田氏の墓地の一隅にあり花崗岩でできた、三十センチ角、高さ一メートルほどの墓碑です。中央に大湖滴水信士、側面に天明五年(一七八五)六月と刻まれています。行年二十五才であったといいます。

 犬飼嘉作という人は、非常に伝説的な説話の持ち主で、例えば、徳利の中へ入ったとか、祭りのとき瓜売りの瓜を集まった人にくれてしまったとか、一晩に仙台まで行ってまんじゅうを買ってきたとか、数えきれないほどです。そして最期には、二つ玉の鉄砲で打たれたということになっています。一つめの玉は右手に握った(口に食わえた)がもう一つで胸を射抜かれたというのです。(月舘町伝承民話集)

 霊山の石田には「嘉作ころがし」という地名とともに、嘉作を射った人の名も伝わっていますが真疑の程は明らかでありません。

 嘉作にまつわる話は、多分に民話的なもので、後世の人がつけ足し、ふくらませながら語り伝えられてきたもののようです。「大湖滴水信士」を過去帳で調べても「嘉作」の名は見つかりません。

 しかし、犬飼の本田氏のもとには、忍術の書が伝わっており、何かしら魔術師的な人の存在を裏書きしているかのようです。

大湖滴水の墓標
大湖滴水の墓標


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は月舘町教育委員会に帰属します。
月舘町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。