「ふるさとの小径を行く」 -075/168page

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九人塚と三拍子地蔵

 細夫の行屋入の山腹に椿の木がこんもりと繁ったところがあり、その下に九人塚と呼ばれる塚があります。九人の塚という意味ですが、九人の塚はもっと上の方にありましたが屋敷として整地をする際ここに集めて祀ることになったといいます。

 建武年間、霊山城にたてこもった南朝方の武将の奥方やお姫様が、落城の際鹿島の方へ落ちのびようとして道を誤り、このあたりまで逃れてきて遂に力尽きて死んでいったといいます。所々に点在した遺骸を土地の人は丁重に葬り、塚をつくったといいます。(月舘町伝承民話集に民話として所載)時移り、現在ではこの地に祀られるようになりました。同所の近くにある椚塚という地名は九人塚のなまったものともいわれていますが、近くの人は別なものとみています。

 三拍子の高橋氏の裏山の頂近くに土蔵造りの御堂があり、地蔵尊が祀られています。

 一般には「三拍子地蔵」「色地蔵」「夜泣地蔵」などと呼ばれています。昔山上の大木を切り倒したとき、ついてきた子どもがその下敷になって死亡したのを 悲しみ地蔵尊を祀ったのが始まりとされています。この地蔵尊に祈れば子どもの夜泣きがなおるといわれ、一時は参詣人で賑わったものでしたが現在では訪れる人も少なく、堂屋もさびれつつあります。

椿の下の九人塚
椿の下の九人塚


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