「ふるさとの小径を行く」 -083/168page

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清水寺(せいすいじ)

 愛宕山の南麓に、江戸末期に天台宗の法印が三代にわたって布教し、信者を集めていた清水寺と呼ばれる寺がありました。

 寺跡と伝えられる所には「勢至」(菩薩)の石佛碑野仏が二〜三散見されるのみで、一見寺跡とは見えないように変わり、畑となって周りを雑木林と杉林が囲むようになっています。愛宕山の登り口にある僧の墓碑(文化十年)(一八一三)及び寺跡にある僧の墓碑(天保六年)(一八三五)がその名残りを留めています。

 布川の千手観音堂には、寛永七寅年(一六三〇)三月十七日、清水寺の僧が導師に招かれた記録もあり、また、茂林寺の記録の中に、清水寺の家族とみられる人の名もありますので清水寺の存在を疑うことはできません。広瀬川の氾濫や山崩れによって急速に破壊されたものといわれます。清水寺(せいすいじ)は京都の清水寺(きよみずでら)と同字であることから、寺名をめぐって悶着があったとの話も伝わっていて興味深いものがあります。

 山ふところの寺跡に立つと、私達の祖先が求めて止まなかったものが、現在の私達の求めるものと同じであることに気づかせられます。

清水寺跡の石碑
清水寺跡の石碑


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