「ふるさとの小径を行く」 -091/168page
俳諧の額も床しい
梶内の蚕養神社館の腰から梶内に入って八○○メートル、道の北側の小高い山の頂きに、間口二間、奥行一間半の蚕養神社があり、神前にはたくさんの繭玉が奉納され今も信仰の深さがうかがわれます。
現在の社殿は、大正三年の造営で遷宮となりましたが、神殿の記録には明治七年甲戊の文字なども見えることから、かなり古くから祀られていたものとみられます。また、氏子惣代菅野金兵衛なども読みとれ祭祀を行なっていたようです。
社殿内、東側の壁には、横一五〇センチ、縦七〇センチの「奉楽俳諧発句合せ」の額が奉納されています。明治十年のものですが、額の右下に描かれた老人の傍らの生糸束に「日本国産」と書かれているのも当時の風潮として、輸出の花形であったことを偲ばせています。参会者は町内ばかりでなく、飯坂、二本松、羽田、そして梁川となっており、文化人の交流が意外と広範囲にわたっていたこと に驚ろかされます。
境内には、老松の根元に小祠二基のほか大国神、廿三夜馬頭観世音、庚申塔が建てられ、現在に至るまで旧三月十七日に部落の人々によって祭典が行なわれています。