「ふるさとの小径を行く」 -093/168page

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の御宇の弘仁二年(八一一)陸奥出羽の按察使兼鎮守府将軍文屋綿麻呂が東国へ下向の際、紀州熊野生神をここに勧請し、宮内村国治郎を普請奉行として神殿造営にあたらせ、天長元年(八二四)に竣工し同二年に鎮座式を行なったとあります。

 その後、時とともに荒廃してきましたが、元暦の頃、西館城主佐藤民部義忠が当社の再興をはかり、寛喜元年(一二二九)宮殿を再建、さらに永享年間(一四三〇年頃)に大修理をしました。当時の糠田村は、現在の大字月舘をも含み、当社はその村の鎮守であったといいます。その後、上杉統治になり、鎮守を別にしたため当社頭も縮小しました。寛永十三年には正一位を贈られています。社殿はその後数回修復、再建をくり返し、現在の社殿は明治二十八年から三十三年にかけて造営されたもので本殿の周りの彫りものなど美事なものです。

糠田熊野神社正面
糠田熊野神社正面

 大鳥居をくぐると大きな花崗岩の「太神宮」碑があります。江戸末期のものですが、伊勢講の盛んな


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