「ふるさとの小径を行く」 -102/168page

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なっていましたが、天正元年、紀伊の国那智の阿闍梨がこの地に来り、霊感を得て薬師尊像及び縁起を掘り出し、この地に一宇を建て薬師如来像を安置しました。そして山号を、薬師如来像発掘のきっかけとなった光にあやかって眉間山と改めました。この阿闍梨を眉間山中興第一世大智といいます。

 その後、度々火災にあい、とくに安政三年十二月の大火で全焼しましたが、信者の熱烈な信仰心により再建されてきています。

 現在では、薬師堂の下に大伽藍を造営、山号も医王山薬師寺となっております。

 本尊の薬師如来像は、蓮の台座に立つ約四十センチの像で五十一センチの光背を負っています。背面に「空海之作」と彫られていますが、これは江戸時代の中頃に彫ったものらしく、本像は、八百年前に東北地方で製作されたものであることが、昭和二十三年に福島市公会堂で行なわれた宝物展に出品し、専門家によって鑑定されています。

 この鑑定に基づいて、昭和四十二年、町重要文化財として指定されております。

 本薬師堂には、大江山酒呑童子、那須与一の扇ノ的などすばらしい絵馬が十余額奉納されており、天井の組格子の間の絵とともに美術の豊庫のようです。

 堂脇の鐘楼には戦争中失なわれた鐘に代わって戦後鋳造された鐘が平和を祈念して余韻を響かせています。

 急な石段の両側の石のほとんどが庚申塔で、登り口にある「百庚申」の碑そのものです。地域全体が宗教的雰囲気につつまれています。

薬師如来像
薬師如来像


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