「ふるさとの小径を行く」 -116/168page
九)、天正十五年(一五八七)、寛永六年(一六六六)、貞享元年(一六八七)等の棟札が納められており、歴史の古さを物語ってくれます。現在の渡辺宮司は第二九代に当たるとされます。
信達一統誌には、むかし、甑敷内(こしきうち)という所より光明輝き、託宣があったのでお祀りした。それで甑敷宮と称するが春日大明神である。この村では甑敷を用いないし、用いるときは禍あると言われている…との記事がありますが、社名の起こりでしょう。
境内は約十平方メートル、木立の中には、御神輿御神馬庫のほか、八幡神社、金比羅神社、天王様ほか多くの祠があり、里人の信仰の場でありました。なお、上手渡地区には、寺がなく神葬祭が多くなっています。
小志貴神社牡丹獅子舞
小志貴神社には、秋の例祭のとき、隔年に奉納される三匹獅子舞があります。この舞の歴史は大変古く、天正十五年(一五七八)、時の神官第十四世渡辺大蔵坊が里人とともに神社の再建をしましたが、それを喜んだ村人によって奉納されたのが始まりとされています。以来四百年間盛衰はありましたが今日まで継続されてきたものです。
三この獅子頭は竹籠に張り子といった粗朴なものでしたが、明治四十三年篤志家により木製の獅子頭が寄進され、現在は木製のものを使用しています。
演技者の中心は、獅子児と軍配団扇もちの子どもで、氏子の長男から選ばれるのが原則です。
獅子児(三名)−先獅子、牝獅子(獅子頭に牙がない)、後獅子から成り演技の主役です。