「ふるさとの小径を行く」 -135/168page

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俳人竹路の墓碑

俳人竹峯路山の墓碑
俳人竹峯路山の墓碑

 月舘、町畑の墓地内に「竹峯路山清信士墓碑」があり、中に辞世の句が記されており(・印(太字で表示))珍しいものです。碑文は、

 竹峯路山清信士姓遠藤氏俗名藤七陸奥伊達郡糠田邑月舘人家世以農桑為業胸襟寛和未嘗與人杵又不汲々於世利其為人可知也頗有雅致慕蕉翁之風而号竹路以寛延二年巳已十月三日生以寛政十一年巳未正月二十一日卒 漢字 終口占日鶯波出與余波 漢字 也今朝農夢令傍人書奄然而逝 漢字 時年五十一葬月舘南一里許於先塋之 傍嗣子小左衛門孝親請予記年月書以月書應需 漢字

 文化二乙丑年夏四月
       東奥相馬高平山老隠
                  地生雨潤識

 竹路は、月舘字町の遠藤氏の先祖に当たります。地生雨潤は相馬の人ですから、交通不便の時代とはいえ、俳人たちはかなり自由な往来をしていたことがうかがえます。

 辞世の句は「鶯は出でよ、弱きや今朝の夢」蕉風を慕うとありますが、その俳友、師弟関係については明らかでありません。

 昭和三十年刊の「福島県俳人事典」には、竹路月舘「夕影に呼鳥は何しのぶ石」と出ています。


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