「ふるさとの小径を行く」 -139/168page

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田代忠次右衛門の墓碑

田代忠次右衛門の墓碑
田代忠次右衛門の墓碑

 明寺の地蔵尊から墓地を登っていくと、霊山のいぼ石の台の上に、幅七五センチ、高さ一六〇センチのすずり石でつくられた立派な墓碑があります。

 碑面にある田代忠次右衛門は、文化七年(一八二四)に生まれ、明治二六年に亡くなられた人で、現在の田代氏の五代前に当たります。

 碑の裏面には、嘉永七季十二月十四日母、明治二十六季、旧十一月四日父、と上段に刻まれ、その下に、筆弟、高橋喜作、田代イシ、羽田丈七、齋藤藤助、同吉蔵、同寅五郎、小野源五郎、遠藤小左エ門、菅野源蔵、同重作、高橋寅十、田代運作、高橋利作、菅野勝之助、同健蔵、同常吉、同利助、同吉太郎と十七名のほか、石エ菅野宇兵 の名が刻まれています。ほぼ、嘉永、安政の生まれの人たちですので、明治の初めのころ門弟となったのでしょうか。また、門弟の分布は、墓地にある明寺近辺に限らず、月舘にまで広がっています。まだ学校の設置されない時代の勉学の様子がしのばれます。


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