「ふるさとの小径を行く」 -140/168page
堀沢山記念碑
糠田字上ノ坊、小手小学校を左手前方に見る県道のわきに、高さ一メートル余の立派な碑があります。糠田村と上小国村との間にある堀沢山の所属をめぐって争いがありました。そのときの記録として明治四十年に建てられたのがこの碑です。
碑の内容は、戦時・平時それぞれに馬の果たす役割は大きく、そのための秣場も大切である。糠田村字堀沢山の地二十町は古くから糠田村の秣場であったが、明治九年に隣りの小国村が自分の土地であると主張したので、糠田村は次の六つの理由をあげて福島裁判所に訴えた。すなわち、
の六理由であるが、福島裁判所ではこれを認めた。
- 正徳五年以来数次にわたる本村明細簿にある記録
- 明治六年発行の地券
- 文化五年に定めた約束
- 弘化三年の争いとそれに対する他村の態度
- 小国村の文書の内容
- 本村にある堀沢山売買の文書
さらに宮城控訴院でも争われたが結果は糠田村に理があると認められた。この間における斎藤長三郎氏の努力と功績は大きなものであった。村人は氏の徳を後世に伝えるために藤田松江氏の協力を得て碑を建てる。