「ふるさとの小径を行く」 -142/168page

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多蔵親分の碑

多蔵親分の碑
多蔵親分の碑

 糠田、薬師寺より南へ六百メートル、大平地内、道路より一段高い墓地の中にひときわ大きい墓碑があります。三段の台座の上に百八十センチに余る石碑の正面には「浄蓮院穐明清大居士」と「壽徳院真月妙大姉」左側面に「明治二十四年旧十一月六日、斎藤多蔵」と刻してあります。

 これが、明治の初期に伊達、信夫、安達に侠名を轟ろかせた大親分、斎藤多蔵氏の墓標です。子分数十名を擁し、遠く県外にまでその名が聞こえていたといいます。その子分たちによって建てられた碑とのことです。

 斎藤多蔵氏については特記すべきものは伝わっていませんが、氏の留守中に保原、梁川方面の博徒が押し寄せて争いとなり、双方に重傷者が続出、急を聞いて梁川代官より役人がかけつけて一同を逮捕し、斎藤氏のもとにいた山形生まれの相撲取の高富士らは処刑されたという話が残っています。当時としてはかなり大きな事件であったらしく、多くの人に語り継がれて今日に至っています。


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