「ふるさとの小径を行く」 -143/168page
古屋の山津波と百姓亀松
上手渡の古屋地区は、地盤軟弱なためか昔から山津波があり、その都度人畜に被害を与えてきました。
とくに、文政十三年(一八三〇・天保元年)のお盆に起こったものはその大なるもので、旧の七月十四日から三日間降り続いた雨のため傾斜地の土地がゆるみ、泥土が小島中島方面に向かって流れ出した。泥流は次第に大きくなり、田畑を呑み、ようやく平四郎屋敷に至って止まりました。この異変により二名死亡、流失家屋三戸、山林田畑の被害甚大となりました。
現在の石河洋一氏の裏山に当たり、氏の宅地の一角にも泥土が流れこみ、隣家は流失しました。
この地の百姓亀松は、下手渡藩の草履取りを勤めていましたが、この山津波に直面、当時日光に居られた二宮尊徳に窮状を訴え、今後の再起について指導を乞うたところ、先生もその志を憐まれ、親しく接見されて植林を勧められたということです。
亀松は帰郷後植林事業を起こし、後、澤右衛門と改めて苗木屋となったということです。