「ふるさとの小径を行く」 -153/168page
て本町の仏教の先進地でありました。
当銀杏の木は、中福寺の存在を記憶する唯一のものであり、かつ、県下でも有数の巨木であるこの木を守るため、町の重要天然記念物として指定されています。
平氏の滅亡を知る
元暦の古碑平氏とともに壇の浦で入水された安徳天皇の御宇の碑(一一八四)とされていますので稀にみる古碑のひとつであります。
入山の地蔵尊の東、旧道をはさんで小高い盛土の上に数基の墓碑とともに立つ赤石の高さ一メートル程の碑がこれであるとされています。風化が進み、文字の落剥が激しく、刻字らしいものを認めるのみになっています。「信達一統誌」によると「古碑、躍坊というところに在り、元暦元年甲辰と記せり、その外文字見えず、何人の碑なるか云々」とあるところから、県北地方でもかなり知られたものであることがわかります。
口碑によれば、往時、この近くに名刀鍛冶が居り、近江の名工関氏の作をしのぐという意味で「大水」(関=堰を破る)と号したがその事蹟を記したものとか、供養碑であるとか伝えられています。