「ふるさとの小径を行く」 -155/168page

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ばれ、雨乞をする神聖な場所でもあります。頂上から南に十メートル降りたところに、「小手姫神社」と刻まれた岩があり、参拝者が必ず訪れます。奇巌畳々として名勝の名に恥じません。また、頂上より北の方へ十余メートル下ったところにも古墳と伝えられるところがあります(二十六ぺージ)。また、頂上の東側に「東国(あづまやくに)神社」蛇石の下方五メートルのところに「山津見神社」が祀られています。

 伝説の豊かな山で、役の行者小角(おづめ)が大蛇の化けた美女を法力によって打ち負かし、その蛇を神に祀る代りに里人に蛇の災を与えぬよう説いたところ、蛇はたちまち石=蛇石(蛇頭石)になったという話や、さらに頂近くでは熊野神や五行神に会ったとか、前九年の役に、八幡太郎義家が木幡山にたてこもり、 安倍貞任等と戦ったとき、遥かに女神山を望んで戦勝を祈願したとか、文治年間、源頼朝が奥州を攻めたとき、平泉藤原氏ゆかりの小笹姫がこの山中に隠れ住んだとかの話が伝わっていますが、中でも小手姫に関するものが中心となるようです。

 小手姫は、崇峻天皇の妃で、天皇亡き後、実父の大友糠手と皇女錦代媛とともにわが子蜂子皇子を尋ねてこの地まで来たところ、山腹に山桑の茂れるを見て里人に養蚕や機織りの技を教えられ、遂にこの地で亡くなり、遺体は女神山に葬ったといいます。小手姫伝説は布川をはじめ、川俣にもあり、地域の人々によって今に伝えられてきています。

 信仰の山も現在では、ハイキングに絶好のところとなり、春の例祭には信者の健康な笑声の響く山となりました。

山頂の祠
山頂の祠


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