「ふるさとの小径を行く」 -159/168page
ここでは貨物を扱っていました。停車場は御代田と館の腰にありました。無人駅です。
営業運転期間はたいへん短く、大正四年十二月十三日運転開始、昭和二年六月二十八日廃止で、僅か十二年間の短い命でした。午前二往復、午後二往復であったといいます。経営者は、信達軌道株式会社であります。
この信達軌道は伊達町に本社をおいた会社で、路線としては、福島から伊達町を通って湯野へ行くもの、伊達町(当時は長岡)から保原、保原からは桑折へ、梁川へ、掛田・月舘を通って川俣へと三方向に通っていました。川俣・掛田線と、保原・桑折線は電化されずに廃止されましたが、他の路線は電化され、経営も福島電気鉄道株式会社から福島交通へと引きつがれて昭和四十五年まで人々の足となったものです。