あだち野のむかし物語 - 003/037page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

万海壇(まんかいだん)
   
 
二本松市

 今から約百五十年ほど昔、鈴石村(現二本松市鈴石)に、万海坊(まんかいぼう)という修験者(しゅげんじゃ)がおりました。万海坊は大王院(だいおういん)を開基(かいき)し、修験者の行屋(ぎょうや)にも使い、近くの石合小川(いしごうおがわ)にある、大きな岩屋の中も行屋にしていたといいます。

 万海坊は、修験所を回り、出羽の羽黒山から何人かの修験行者と戻ってきました。ある年、鈴石村に不思議な熱病がはやり、次々と死ぬ村人が出ました。万海坊は、修験者たちと一緒に毎日一生懸命お経を唱え、祈りましたが、熱病は止まることなく、このままでは村人がいなくなってしまうのではないかと思われるほどの状態になってしまいました。

 ある日、突然万海坊が村人を呼んで「わしが生き埋めになってこの病から村人を救おうと思う。餅四十個と柿一連、水一桶(おけ)を用意して下され。そしてわしが入れるくらいの穴を、この松の木の根元に十間(けん)ほど掘ってわしを入れるのじゃ。」と言いました。村人はびっくりしてやめるようにと願いましたが承知せず、品物を用意させ、「竹筒の中の節を抜いて穴の真ん中に立て、用意した品物を入れて埋めてくれ。」といいました。万海坊は修験行者たちのお経を聞きながら穴に入っていきます。村人たちは涙を流しながら土をかけて埋めました。

 村人たちは、心配で毎日「なんまいだ、なんまいだ」と唱えては、竹筒口から「万海坊様ー」と呼びかけると「チーン、チーン」とお経を唱える鐘の音が聞こえてきました。しかし、それも百日くらい続いて、ついに聞こえなくなってしまいました。

 以来、不思議にも熱病はなくなりました。救われた村人は万海坊が生き埋めになった場所を「万海壇」と呼ぶようになりました。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は安達地方新しい旅実行委員会に帰属します。
安達地方新しい旅実行委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。