あだち野のむかし物語 - 009/037page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

香野姫(かやひめ)明神
   
 
東和町

 長徳(ちょうとく)一年(九九五)左近衛中将(さこんえのちゅうじょう)にまで昇った歌人の藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん)は、殿上(でんじょう)で大納言藤原行成(だいなごんふじわらのゆきなり)と口論の末、笏(しゃく)で行成の冠(かんむり)を打ち落としてしまい、一条(いちじょう)天皇の勘気(かんき)に触れてしまいました。天皇から、「陸奥の国の歌枕(うたまくら)を見て参れ。」と命ぜられ、陸奥守(むつのかみ)に任ぜられて下向(げこう)してきました。

 陸奥国に来て四年の間、各地に歌枕を尋ね歩いたが、阿古屋(あこや)の松に限って所在が分からずにいたところ、阿武隈の東に六本松という名木があることを聞き、その地にいってみたがなかったのです。疲れ果てた実方がこの時詠んだ歌は、

「陸奥(みちのく)の 阿古屋の松をたずねかね 身は朽ち人となるぞ ものうき」でした。

 小手森(おてのもり)の樵(きこり)明神は、実方の心をお憐(あわ)れみになり、樵の老夫に身を変えて、疲れて倒れている実方の袖を引いて目を覚まさせ、次のように教えました。

「陸奥の 阿古屋の松の木の高さに 出づべき月の 出るもやらねばの古歌の心で陸奥を訪ねるこの歌は、古い陸奥出羽(むつでわ)が一つの国で陸奥と言っていた時に詠まれた歌である。その後、陸奥を割って出羽国(でわのくに)が置かれたのであるが、阿古屋の松は出羽国にあるのだ。その地を探すがよい。」

 実方は、出羽国に赴(おもむき)き、阿古屋の松を訪ねることが出来たのです。しかし、その帰途を急ぐあまり、岩沼(宮城県)辺りで落馬し、帰らぬ人となってしまったのです。

 一方、都にある実方の留守宅では、歌枕をたずねて陸奥の国に行った


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は安達地方新しい旅実行委員会に帰属します。
安達地方新しい旅実行委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。