あだち野のむかし物語 - 011/037page
降ろすと、どこへともなく去って行ってしまいました。
さて、白い猪が美しいお姫様を乗せて来たと言うので、里人は驚き集まって来て病の姫をいたわり、手厚く看病をいたしました。そのお陰で香野姫は漸(ようやく)く生気を取り戻しました。無学の山里の里人でも、素直な真心の真実は、だんだん姫にも伝わって、旅の疲れも、目の病も次第に良くなってきました。
香野姫は、集まって来た里人たちに遠い都の話を聞かせたり、蚕(かいこ)を飼う事、糸を繰(く)る事、機(はた)を織る技などを教えたりして、数年が過ぎていきました。里人たちも、喜んで姫に親しんでおりました。
しかし、はるばる遠くこの奥地まで夫を尋ね来て会うことも叶わず、夫実方の事、都の留守宅の事、我が身の行く末などを思い悩み、悩めば悩むほどに、いったんは良くなった病も、次第に重くなっていきました。そして、里人たちの心からの看病もむなしく、寒風(かんぷう)に落葉が舞い散り、山ひだに雪の降る頃に、とうとう香野姫は夫実方と会うことも叶わぬまま、帰らぬ人となってしまいました。
里人は香野姫の薄幸(はっこう)を憐(あわれ)み、その徳を慕って手厚く葬(ほうむ)り、山奥にお堂を建てて、その霊(れい)を祀(まつ)りました。これが香野姫明神です。
この伝説にゆかりの地名が、今もたくさん残されています。香野姫は、この里では「小糸姫」ともいわれております。小糸川は、香野姫が糸を繰る時に水を汲んだ川であり、小糸川沿いの山を今では口太山(くちぶとやま)と言っていますが、実方の歌から「朽人山(くちびとやま)」と呼んだりもしていたそうです。白猪森(しらいのもり)は香野姫を乗せた白い猪が現れた山、美女木(びじょぎ)〔美女来〕は白い猪に乗って姫が来た里、夜伏(よぶし)は香野姫が樹の下で一夜を明かしたところ、合羽(かっぱ)は、香野姫が着ていた美しい上着は何と言う物ですかと、里人が尋ねた時に、姫が合羽と答えたという由来に基づいているといわれています。