あだち野のむかし物語 - 019/037page

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 舞台の岩は、安倍の家紋を染め抜いた幕と紅白の幕に飾られて、一層華(はな)やかなものでした。主命によってしずしずと舞台に姿を見せた二人の稚児は、春風のはこぶ双調・平(たいら)調などの妙なる雅楽(ががく)の調べにのせて、花に遊ぶ蝶のように優雅に舞ったのです。この一時は、川の瀬も木々に群れ飛ぶ鳥の声も鳴りをひそめ、敵の兵も味方の兵も、天女のように舞い踊る二人にうっとりと見惚れていたのです。

 二人が静かに舞いを納めたとき、阿武隈川を挟んだ兵どもは東も西もなく、称賛の声をあげ、岩をたたき弦を鳴らして嵐のような拍手が両岸の岩山にひびきわたったのです。

 この拍手のなか稚児姿の娘二人は「敵の前に生恥(いきはじ)をさらした。』と、相抱いたまま断崖から数丈(じょう)下に渦巻く淵(ふち)に身を投げ、波の中に消えていったのです。この話を伝え聞いた老媼(うば)は、悲しみのあまり娘たちが消えた淵に身を投げ、後を追ったといいます。

 八幡太郎義家はこの有様を見て「敵ながら不欄(ふびん)なものよ。」と、娘二人の塚を築いて懇(ねんご)ろに葬り、老媼(うば)の亡骸(なきがら)を小瀬川岸に葬り手厚い供養をしたそうです。その後、二人の塚は二子塚の字名に残り、老姥(うば)は老姥(うば)神様として祀(まつ)られ、里の人々は子供の成長を願っています。
稚児舞台(ちごぶたい)悲話


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