あだち野のむかし物語 - 020/037page

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遠藤盛遠(えんどうもりとお)(文覚上人(もんがくしょうにん))巡錫(じゅんしゃく)の地
   
 
本宮町・大玉村・白沢村

 はるか昔、承安(じょうあん)のとき(平安時代末期)の物語です。

 遠藤時遠の息子に盛遠(もりとお)という若武者がおりました。盛遠には源 渡(みなもとのわたる)という親友がおり、源渡の妻は袈裟御前(けさごぜん)と呼ばれた絶世(ぜっせい)の美人だったのです。盛遠は源渡の家を度々訪れるうち、袈裟御前を愛(いと)しいと思うようになってしまいました。

 盛遠が渡の家に通ううち想いはつのり、袈裟御前に自分の想いを打ち明けたのですが、袈裟御前はわが夫を思い、一人悩んだのです。そして盛遠は渡さえいなければと思うようになってしまい、袈裟御前も悩みながら私さえいなければという考えに陥(おちい)っていきました。

 ある時、袈裟御前は渡を尋ねてきた盛遠に「夫渡は、いつもあの部屋に寝ている。」と語りかけたのでした。

 それを聞いた盛遠は自分の想いが通じたと思い込み、ある日夜陰(やいん)に紛(まぎ)れて渡の寝所に忍び込み刀を振り下ろしてしまいました。ところが、よくよく月明かりで見てみれば、盛遠に斬(き)られたのは夫の身代わりとなって寝ていた袈裟御前だったのです。その場から遁(のが)れた盛遠は、世の無常を感じ、亡き人の冥福(めいふく)を祈るため弓矢を捨て仏門に入り、剃髪(ていはつ)して旅に出て、修行の道に救いを求めました。

 それから月日は巡り、奥州(おうしゅう)に行脚(あんぎゃ)の折り青田の殕森(かぶれもり)(現本宮町大字青田字殕森)を訪れたのでした。大名倉山の東に伸びた尾根の賠森の山は小さいながら、尾根の直ぐ下には夜露を凌(しの)ぐことの出来る岩窟(がんくつ)があり、奥の山には大きな岩場もありました(今、岩窟の中には石の地蔵尊が安置されております)。

 盛遠はこの奥山の岩場で風雪に耐え、修行を重ねておったのです。そ


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