あだち野のむかし物語 - 025/037page

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 ある日のこと、手ぐすねひいて待っていた渡辺綱(わたなべのつな)に、片腕を切り取られたのですが、童子はお婆(ばば)に変装して、腕を取り返して、大江山に逃げ戻りました。

その後、都を守る源頼光(みなもとのよりみつ)(らいこう)等によって、大江山攻撃の手がのびると、かなわぬとみて、大江山をすて、故郷の安達太良山を目指して逃げましたが、都から追いかけて来た頼光に、本宮をすぎると間もなく追い付かれ、「えい。」というするどい気合一太刀で、首をはねられてしまいました。

故郷へ帰りたいという思いが強かったせいか、首は、遠く、原瀬村の才木(さいき)までとんでいったといいます。むかし、自分が運んできた、鬼石のところまでといわれています。

死骸は埋められ、又頼光が乗ってきた馬も倒れ、その場所を「馬尽(まつくし)」といいます。二つの墓は、近くの寺に移されました。その寺の名を、鬼松山来迎寺(きしょうざんらいこうじ)といいます。
鬼石(おにいし)(酒呑童子(しゅてんどうじ))


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