あだち野のむかし物語 - 037/037page
古老がいい伝えていました。八月の頃から、竜水神を迎えて祀(まつ)り、日照りのときにはここで雨乞(あまご)いの祈りをしておりました。
天正十三年(一五八五)、伊達政宗(だてまさむね)がこの地に兵を進めたとき、会津の兵は「この清水観世音は霊験あらたかな秘仏だから、自分の国へ持ってゆこう。」といい、糠塚池(ぬかづかいけ)(清水池)の土手の工事に来ていた役人が国へ帰るところだったので、工事人夫に背負わせて、持ち去ってしまいました。
会津の兵が観世音を持ち去ったその夜、天が震動・雷鳴して、一夜のうちに観世音の尊像が自然の大岩に現れて蘇(よみがえ)ったのです〔岩に抱かれて蘇(よみが)った観世音―抱付観音のいわれです〕。
その後、この地の領主であった蒲生氏郷公(がもううじさとこう)は山林を切り開き堂房(どうぼう)を再建したのです。そのお堂には「清水堂」と書かれた額が掲げられていました。お堂は今、水の神社として建ててあり広く敬われています。
堂房は雨露霜雪(うろそうせつ)に侵(おか)され朽(く)ち、かろうじて残っている草堂に人びとは参詣(さんけい)しています。里の古老のいうのには、幾度か野火で山林と境内が火災に遭遇しましたが、草堂は火災から免れておったとのことです。これは、仏力のなせる奇跡とでもいうのでしょうか。
この観世音は一段と貴い観世音とされています。大きな災難が降り掛かっても、大海の大波が全てを覆うように消滅させてしまうのです。祈願すれば呪(のろ)いやあらゆる悪疫(あくえき)から遁(のが)れられ、病から衆生を救い、牛馬の蹄(ひずめ)にいたるまで神通力を発揮(はっき)して、生きとし生けるものを教え導く力を持っているのです。