わたしたちのきょうど にほんまつ -044/055page

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二合田用水をつくるためには、どんなくふうと努力があったのでしょうか。

そくりょうのくふう

ちょうちんそくりょうの想像図(そうぞうず)
ちょうちんそくりょうの想像図(そうぞうず)

 水路のそくりょうは、夜間に数人の人ぷにちょうちんを持たせて行った。また、近いきょりの所では線こうを使ってそくりょうしたと伝えられている。百間樋(ひゃっけんどい)からお城山(しろやま)までは、1パーセントのかたむき(100メートル進み1メートル下がるかたむき)なので、正かくなそくりょうぎじゅつがもとめられた。また、工事は、幕府(ばくふ)のゆるしをえないものだったので、ひみつを守るために「ざい人(にん)がにげ出したので、藩(はん)は山がりを行っている」といううわさを流したともいわれている。

水量(りょう)調せつのくふう

水量(りょう)調せつのせき(百間樋水路橋(ひゃっけんどいすいろきょう) 上流)
水量(りょう)調せつのせき(百間樋水路橋(ひゃっけんどいすいろきょう) 上流)

水量調(りょうちょう)せつの石どい(若宮一丁目)
水量調(りょうちょう)せつの石どい(若宮一丁目)

百間樋水路橋(ひゃっけんどいすいろきょう)

百間樋水路橋(ひゃっけんどいすいろきょう)

 二合田用水は、水路をてきから守るためにできるだけといを使うことをさけ、山の地形に合わせてぼりの水路をつくった。しかし、今の二伊滝(にいたき)の「百間樋水路橋(ひゃっけんどいすいろきょう)」のところは、山なみがとぎれる場所のため、といを使わなければならなかった。そこで、木でつくったといをかけ、藩士(はんし)にけいびをさせたということである。


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