わたしたちのきょうど にほんまつ -046/055page

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3 きょうどのためにつくした人々

きょうど発てんのためにつくした人には、どんな人がいるでしょうか。

山 田  脩(やまだおさむ) (1841年〜1921年)
山 田  脩(やまだおさむ)

 霞ヶ城(かすみがじょう)公園内に二本松を見守るかのように立つどうぞうは、「製糸業(せいしぎょう)の父」とたたえられ、わが国で初めての民間きかい製糸(せいし)工場をつくった山田脩です。

 脩は、二本松藩士(はんし)の子として生まれ、1873年、二本松製糸会社をつくるのに参加(さんか)し、アメリカに支店をつくるなどして大成こうをおさめました。1885年、二本松製糸会社をやめ、わが国初の民間きかい製糸工場「双松館(そうしょうかん)」をつくり、製糸業発てんのための研究と努力をしました。

 また、町民にのぞまれ、第3代の二本松町長にもなり、二本松発てんのためにつくすとともに、学校をたてるためや火事で家をなくした人を助けるためにたくさんの寄付(きふ)をしました。のちに「八幡様(はちまんさま)か山田様か」とたたえられたほど、町民にあいされました。

双松館(そうしょうかん)の工場内のようす
明治33年にたてられた双松館(そうしょうかん)製糸場
明治33年にたてられた双松館(そうしょうかん)製糸場

・ 二本松の出身(しゅっしん)で、世の中の人のためにつくした人を調べましょう。

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