先人の偉業 戒石銘の精神に学ぶ -012/024page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

変な状態でした。これが普通、積達騒動と呼ばれているものです。またその騒動が割合大きくなってしまったのは、戒石銘の誤解とこれを利用して昨非を落とし入れようとする昨非反対派の宣伝であったことはまちがいないと二本松藩史には書かれています。

 戒石銘の誤解とはどういうことなのでしょうか。反対派は農民達に「下民はあざむきやすい。しいたげて脂(あぶら)をしぼれ、そして汝らの禄とせよ。」と読むのだと教えこんだようです。凶作の上に年貢をきびしくとりたてられ生活に困った農民達は、「戒石銘」に怒りをもったのでしょう。これに合わせるように、二本松藩士の中からも「昨非を追放せよ。」との声が上がり、彼、岩井田昨非は積達騒動の責任を問われ、失脚してしまいました。「下民を大切にせよ。」という戒石銘を逆に読まれてしまった昨非の胸の中はどうだったでしょう。学問の深いところまで究めた昨非だったために、皆んなから理解されなかったのか、昨非自身が二本松の藩士達を見て「人材が少ない。」となげいているところをみると、彼の学識を理解できない藩士達に急いで徹底的に教育しようとした結果が反感を買うことになったのか、いずれにしろ農民達の上にいる武士の心を戒めた「戒石銘」が立派なだけに、こんな形で終ったのが残念です。

 昨非は一〇〇年先の藩の将来を考えて政治をとりました。しかし、当時の人々にとっては、目前の今日、明日の生活の方が大事だったのではなかったかと思います。

 藩政改革で成功した藩は思いきった経済改革を行っています。藩の収入の道を考えることこそ、当時としては望まれたことでしょう。そういった意味では理想的な戒めにそった現実的な政治が、行われていたらと思われます。

 しかし、経済面ばかり先行し、政治的モラルが欠ける現在こそ、この戒石銘は政治家の指針として考えるべきだと言われています。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は二本松市教育委員会に帰属します。
二本松市教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。