先人の偉業 戒石銘の精神に学ぶ -013/024page
6. 中国京山県との国際交流
(1) 訪中に至るまで(昭和六十三年)
戒石銘のルーツは中国にありますが、市内若宮の松田忠治氏は、戦時中、中国の湖北省京山県において、二本松市の戒石銘四句十六字と同じ句が刻んである碑と対面し、そこで撮影した写真を保有していました。
松田氏は、同じ若宮に住んでいて福島大学に通う中国人留学生の世話をしていた永井栄吉氏と中国に出かけることになり、京山県に足をのばし戒石銘と再会してくることを二本松市長に報告されました。二本松市の戒石銘の起源が中国にあることは史実から明らかであり、そのルーツを探ることは当市にとっても極めて意義深いものであるとして、市長は京山県長にあてた親書を二人に託しました。昭和六十三年七月のことでした。
この市長の親書が発端となって京山県と当市の交流が始まりましたが、調査の結果、京山県の戒石銘は戦禍のために消滅していたものの、当市において一七四九年に刻まれた四句十六字は、京山県において一五五八年に建立されたと記録されている戒石銘碑の文字と完全に一致することが確認されたのです。
そこで市は、本家中国の戒石銘碑の史実に基づく再建を懇願していたところ、京山県から県政府庁舎前に戒石銘碑を再建することに決定したといううれしい返事をいただきました。