先人の偉業 戒石銘の精神に学ぶ -017/024page

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(4) 二本松南小学校と実験小学校との交流

平成元年十一月

 中国京山県の実験小学校(日本の附属小学校)との交流が始まったのは、平成元年十一月十五日からです。湖北省京山県と二本松市との交流は、戒石銘がとりもった縁でありました。市内若宮の松田忠治氏が、昭和十四年に中国のこの地においてこの碑に対面し、昭和六十三年夏訪中したとき、大河内市長の親書を持参したのが始まりです。京山県には、その後戦争で壊されてなくなったのを知った大河内市長がぜひ京山県でも復元してはどうでしょうかと県長(県知事)に手紙を差し上げ京山県にも戒石銘が建立されました。そのお礼にと京山県から訪日団が来松され、また、二本松市からも訪中団を送り、そのときにお互いに学校訪問が実現したものです。実験小学校は、教職員、児童合わせて三千名余、京山県一の学校だそうです。

 この日は、中国湖北省京山県から京山県人民政府副県長(副知事)外四名、合計五名の友好訪問団が二本松市を訪問され、そのとき、ぜひ市内の学校を訪問させてほしいとの要請により、二本松南小学校を訪問されました。当日市教育委員会教育長市川義氏の案内で「熱烈大歓迎」の立看板、中国と日本の国旗を掲げ、校長はじめ全職員・児童が整列し拍手で「二ーハオ」を連呼しな

友好訪問団が二本松南小学校を訪問
友好訪問団が二本松南小学校を訪問


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