朝河貫一その生涯と業績に学ぶ -003/025page
薄給ではありましたが,貫一の向学心を曲げさすわけにもいかず,結局貫一の進学を許すことにしました。
2 福島尋常中学校〜東京専門学校
貫一は,1887(明治20)年,福島尋常中学校に入学しました。立子山から福島までは,阿武隈川沿いに歩いて約10kmであったので,母は毎朝早く起きて,川俣時代と同じように貫一を送り出しました。しかし,まもなくこの中学校は新築したばかりの校舎が焼失してしまい,1889(明治22)年,貫一が2年生の時に安積郡桑野村(今の郡山市)に移転することになりました。この中学校はのちに安積中学校と改称され,さらに安積高等学校となりました。
貫一は,中学校のすぐ近くにあった,開成山大神宮の宮司の家で下宿生活を送ることになりました。開成山は現在でも郡山市民のいこいの場でもある桜の名所ですが,当時も2000本あまりの桜が咲きほこっており,中学校の校庭からは安達太良山や磐梯山がながめられるという環境にありました。そうした中で貫一の勉学に対するきびしさは変わらず,なかでも語学に対する関心がいちだんと彼の中で強まっていきました。
貫一の中学時代をふり返ると,彼は4年生の時に特待生(成績などがすぐれてい