朝河貫一その生涯と業績に学ぶ -007/025page
朝河の英語カは日本人としては抜群であったが,俗語も多く,また,婦人に対する習俗など日本と異なっているため,これらのことを覚えこむのに3〜4ヶ月かかった苦労もありました。同級生たちは彼を「サムライ」とよんだそうです。日本の社会で育ってきた彼の雰囲気がそういう見方をさせたのでしょう。彼は学校で人気の中心となり,市民も彼には特に好意的であったとのことです。
ダートマス大学時代の朝河はいつも最優秀の成績で,特に英語・ドイツ語の学カはすばらしく,諸教授は朝河の学カと成績,人格と人をひきつける個性に対しても讃辞を惜しまなかったのです。
朝河の知識は,二つの社会を比較するとき,特に鋭いものに発展していくという性格をもっていたようです。ダートマス大学入学の1896(明治29)年の3月から1年半にわたって,徳富蘇峰の「国民新聞」に29回にわたり,日本とアメリカの違いについて寄稿(きこう)したことがありますが,学問に対する両国学生の違いについては次のように論じています。
日本の学生は米国学生より精勤であり,知識も深遠である。1週間の授業も日本が30時間で米国は15〜16時間である。しかし,日本青年の勤勉と深遠は少しも自慢にはならず,日本は不規則に世界の看板を急いで借りて装うているだけであり,米国青年のほうは怠惰でも浅薄でもなく,自然の発達の順序として成長に必要な教訓を無理せずに,確実に一歩一歩吸収しているのである。日本の学生は一生が連続したものであることを忘れ,短い年月で大急ぎで学問を仕入れ,そののちもっぱらこれを売ろうとする。これに対して,米国青年は遅鈍(ちどん)のようであるが,学問を食(くら)うこ