朝河貫一その生涯と業績に学ぶ -018/025page

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級だったヒューエス博士らが講演を行いました。ヒューエス氏は「日本を知り,日本を愛し,世界を知り,世界を愛した偉大な学者をなぜ日本は,本国に迎えてその忠告を受けなかったか。」と述ぺ,「改めて,博士の偉大さを追想し,将来我々のカを合わせて偉業をのばし,更によきものを作らねばならない,日本親善の象徴として心から祈りをささげよう。」と結んでいます。

 イェール大学のシンプソン教授は,彼についてこう語っています。「朝河は,終生日本国民とアメリカ国民との善意をつないだ誠実な大使でありました。そして彼はアメリカの地で生涯を通じ,栄誉にかがやいたばかりでなく,人々は将来にわたって,彼の生涯を感動と尊敬をもって記憶することでありましょう。」

 日本とアメリカをつないだ偉大なる日本人朝河貫一の生涯は,いつまでも輝き続けることでしょう。

博士夫妻墓碑(二本松市金色墓地)
博士夫妻墓碑(二本松市金色墓地)

 

8 今に生きる朝河貫一

 朝河の死後,半世紀が過ぎようとしている今,私達は21世紀を目前にした世界の中で生きています。世界の人々のつながりが強まっている現在,私達は朝河からどのようなことを学ぶことができるでしょうか。

 日本で生まれ,生涯の多くをアメリカですごした彼は,国際的な視野を持つ必要性をいちはやく悟っていたのでした。

 1898(明治31)年,すでに朝河は「他国が私利を追求するからといって,自国の利のみを追い求めるようなことがあれば,仮りに一時はカを得ようとも,国民の良心は


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