上川崎和紙 -004/017page

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平安時代から伝えられし、上川崎の千年和紙。

貴人達に愛された上川崎のみちのく紙。

 上川崎和紙の歴史は約千年前にさか のぼる。平安の中頃、冷泉天皇(967〜969在位) の時代に始められたと 伝えられている。平安時代に「みちのく紙」 と称され、紫式部や清少納言たちに愛 された“まゆみがみ”はここで漉かれた 可能性が高いという。楮の皮を原料と する以前の和紙の材料は檀(まゆみ)で あり、この檀で漉いた紙を檀紙(だんし) と呼んでいたのである。万葉の時代から 安達太良山で採れる檀(まゆみ)で作ら れた弓は優れたものとして、多くの歌に, 詠まれていた。 つまり“まゆみ″といえば安達太良山周辺の代名詞でも あった。檀の産地で漉かれた、みちのく生まれの「みちのく紙」とは、まさに 上川崎和紙をおいて他にないと思われる。

江戸時代に花開く日本の和紙文化。

 江戸時代になる全国はもとより、 福島県内各地でも和紙が生産される ようになる。上川崎和紙は主に二本松 藩丹羽領内の「地障子」という障子紙 の生産を一手に引き受けるようになった。 楮を原料とする生漉き紙で、現在の和紙の原型といえる。この時代は、和紙も 農産物や特産物と同じように年貢の 対象であり、他の藩などに流出しない ように「紙漉礼」という鑑札制度の下で厳しい生産統制を受けていた。享和2年(1802)に定められた「二本松藩享和 御条目」には「1.紙並に紙子、紙張御領 内にて売買仕、他領へ持出す儀令禁止 の事」とある。紙子は楮皮で作った和紙 を加工した織物で羽織、寝具、袖無し、袷、 頭巾、刀袋、丸帯、煙草入れなどに利用 されていた。紙張は紙で作った蚊帳のこ とで、大正から昭和20年頃までは、農 家の蚕室囲いとして障子戸の内外側に 釘で止めたり、吊したりして保温のた めにたくさん用いられていた。

上川崎和紙


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