わたしたちの町あだち-045/059page

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 同じように水が足りなくて困っていた米沢村の阿部金三郎という人は、この吉倉ぼりの水をさらに米沢村、下川崎村まで引いて行けばみんなの村がすくわれると考えました。それにはもっとたくさんの水が必要です。そこで湯川の水を、二本松市塩沢の「ぐみづか」という所から用水路にとり入れ、一部は、鳥帽子森川の流れを利用しながら、吉倉ぼりの「ふじこぶ」まで流し、「ふじこぶ」から吉倉ぼりを通してさらに米沢村、下川崎村まで用水路をつくる計画をたてました。
 あだたら山のふもとから長い用水路をつくるのはたいへんな工事でした。でき上がるまでに12年かかったといわれています。そうしてようやく完成したこの用水路のおかげで吉倉村、米沢村、下川崎村(今は福島市の分になっています)にたくさんの水がながれてくるようになりました。村の人たちはこの阿部金三郎さんのことをわすれないように「金三郎ぼり」と呼ぶようになりました。吉倉ぼりと金三郎ぼりを合わせて「新ぼり」とも呼んでいます。新ぼりは今も毎年たくさんの水をながしつづけて広い水田をうるおしてくれています。

▼湯川の水を分けて新ぼりにながすところ(ぐみづか)
湯川の水を分けて新ぼりにながすところ(ぐみづか)

阿部金三郎さんの碑
▲阿部金三郎さんの碑


 用水路ができたおかげで新しい山も開かれ、米もたくさんとれるようになりました。旧国道4号を渋川から、福島市松川町にぬける道路の上を「といごし」で新ぼりが流れていますよ。

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