わたしたちの町あだち-048/059page
(3)紙(和紙)をすく仕事
今、上川崎地区は「和紙の里」として有名です。福島県の大切な文化財に指定され、そのすぐれたぎじゅつをいつまでも伝えようと努力しています。
今から1000年ぐらい前、上川崎の川の端という所で紙すきが始められました。始めのうちは、あだたら山にたくさんはえている「まゆみ」の木の皮を原料にした紙でしたが、その後、「こうぞ」という木の皮を原料にしたじょうぶで美しい紙ができるようになりました。
そして、上川崎だけでなく、小沢村、下川崎村、沼袋村などで広く紙すきが行われるようになり、多い時には300けんぐらいの家で紙をすいていました。そして、「川崎紙」として全国でも有名になったのです。
しかし、そうなるまでにはたくさんの人たちの研究と努力があったのです。上川崎の郷土誌によると、『上川崎の塩ノ田というところに「いわまえとねり」という人が来て紙すきの方法を改良した』と書いてあります。また、上川崎の陣場の公園にたっている古い碑には『下川崎の野地勝吉という人が紙すきの先進地に行ってそのすぐれた製法を研究し、今までにはできなかった大きな紙をすくことができるようになり、紙が高くうれるようになったのでますます紙すきがさかんになった』と書いてあります。紙すきは安達町になくてはならないたいせつな産業でした。
▲野地勝吉さんの碑(上川崎)
▼いろいろな紙の製品
▼紙のざぶとん
なぜ上川崎、下川崎で紙すきがこんなにさかんになったのか考えてみましょう。
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