社会科副読本第3・4学年 わたしたちのきょう土 おおたま - 119/129page

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四、きょうどを開いた人びと

(二) 三ツ森ため池と大玉村

 大玉村は水田いな作を中心とした村です。田や畑に水をかけて、作物を作るためには水を得ることは大きな問題になるのです。この村では、杉田川、百日川、安達太良川の三つはありますが、水量が少ないのです。そのために、あちらこちらに、ため池などをたくさん作って、田んぼに水をひいていたのです。日照りなど続くと、田植がおくれて、米のしゅうかくが少ないときもありました。
 百日川や、安達太良川は、大玉村と本宮町の一部で、かんがい用水として利用していましたが、水量がたりなくて、水あらそいが、しょっちゅうありました。
 この水あらそいは、むかしから本宮町や各部落のひとりひとりの農民のりがいがからみしばしば、たいりつしてあらそいをおこしていました。たとえば一九二四年(大正十三年)に、大山と本宮町の間で、鳴俣堰(なるまたぜき)そう動が起きています。そのために、村の人々は、安心して、米づくりをすることができませんでした。ときには、よその家のせきをはずしたりして、水を得ようとする人もあったといわれています。


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