もとみや 小学校社会科副読本 - 074/101page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

人々のねがいと工夫

 岩色疏水が,どんなねがいによってつくられ,また,工事を進めるうえで,どんな苦労(くろう)や工夫があったか,調べてみましょう。

(1) 人々のねがい

 昔,関下地区(せきした)は石川原(いしかわはら)という荒(あ)れ地でした。
「川が土地より低(ひく)いところにあるので,近くに川があるのにその水を利用できない。土地は荒れ,米ができない。ここに水をひいて,米を作りたい。」
 これが,人々の長い間のねがいでした。
 今から400年ほど前,畠山六左エ門秀富(はたけやまろくざえもんひでとみ)は,この土地を領主(りょうしゅ)からもらいうけ,五百川に堰(せき)をきずき,水路をほって水田を開きました。
 昔のことですから,工事はむずかしく多くの人々の手助けをうけ,水を引くことに成功(せいこう)しました。

関下(畠山)六左エ門の記念碑
関下(畠山)六左エ門の記念碑(きねんひ)


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は本宮町教育委員会に帰属します。
本宮町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。