東和町町勢要覧 -035/042page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

■東和町の沿革 (2)

昭和37 福島 〜 小浜間乗合自動車運行。
昭和38 上太田小学校火災で焼失。
昭和39 初めての鉄筋校舎上太田小学校新築。
東和町商工会設立。
昭和40 3農協が合併し東和町農業協同組合となる。
昭和41 東和町公民館新築。
東和町母子健康センター開設。
二本松 〜 木幡間乗合自動車運行。
昭和42 農業構造改善事業開始。
昭和43 東和保育所開所。
昭和44 東和町立幼稚園開園(針道・木幡・太田3分園)
東和電報電話局開局、電話の自動化。
昭和45 米の生産調整実施。
農業改良普及所東和出張所、二本松に統合。
第1回東和ロードレース大会開催。
昭和46 過疎地域町村の指定。
安達地方広域市町村園設定。
昭和47 安達地方広域行政組合発足。
昭和48 安達東高校開校(針道校舎)。
安達地方広域行政組合消防署東和分遣所開所。
安達地方農業共済組合の合併発足(東和出張所に改称)。
昭和49 町初めての公営住宅完成。
町立青少年自然の家開設。
昭和50 主要地方道川俣・船引線が国道349号に昇格。
針道保育所開所。
昭和51 東和駐在所発足。
地籍調査(国土調査)開始。
昭和52 安達東高校全日制に。
東和中学校発足(名目統合)。
歯科診療所開設。
町民運動場完成。
昭和53 木幡山経塚群発掘調査。
地集電話の一般化。
東和中学校校歌制定。
統合中学校校舎竣工。
学校給食共同調理場完成。
昭和54 東和中学校開校(実質統合)。
合併25周年。町制施行20周年。町民憲章・花・木・鳥制定。
社会福祉法人東和町社会福祉協議会設立
昭和55 水舟分校屋内運動場完成。
東和町史発刊(第1回配本 近代現代資料編)
全日本カヌースラローム大会、阿武隈川島山地内特設コースで開催。
有史以来の記録的豪雪に見舞われる。
昭和56 安達東高校針道校舎が閉校
(33年間卒業生1,558人)
針道小学校改築・木幡第一小増築完成。
東和町ふるさとセンター完成。

昭和37年  新舟橋(吊橋)と渡し船
昭和37年
当時の新舟橋(吊橋)が完成したころまで、阿武隈川の 対岸の安達町との往来には、渡し船が使われていました。
なお、新舟橋は20年後の昭和57年に下流600mに架け替 えられました。

昭和38年 上太田小学校焼失 新校舎用地の造成
昭和38年
上太田小学校を焼失。
新校舎用地の造成には、 町有のブルドーザーが 活躍しました。

昭和41年 町母子健康センター開所
昭和41年
町母子健康センターを開所。出産 第1号は、高野剛・和子さん夫妻 (木幡字西和代)の長女文さん(同 年4月4日)。

昭和43年 東和保育所運動会
昭和43年
4月1日、東和保育所を下田に開所。
写真は、初めて行われた運動会の様子。

昭和44年 町内初の田植機による田植え
昭和44年
5月13日、町内初の田植機による田植え。
塚本幹男さん(木幡字狐塚)が、1.5haの田 んぼに作付けしましたが、その威力は10 人力だったそうです。

昭和44年 自衛隊郡山駐とん地からの援農による稲刈り
昭和44年
10月3日、自衛隊郡山駐とん地からの 援農による稲刈り。6世帯に12人が派 遣され、人手不足解消に一役買いまし た。

昭和44年 電話のダイヤル化実現
昭和44年
12月15日、大正10年から県内でもいち早く普及 してきた電話のダイヤル化が実現。加入台数は 2,060台でした。そして、昭和52年にそれまでの 地域集団自動電話が、完全一般化しています。

昭和45年 第1回東和ロードレース大会
昭和45年
9月6日、第1回東和ロードレース 大会をいなほ陸友会が創設し開催。
参加者は120人で、コースは現在と違 い若宮 − 萩ノ田 − 蛇渕 − 前石田を周 回するものでした。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は東和町に帰属します。
東和町の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。