平成13・14年度版 ふるさと郡山の歴史 -011/041page
2 弥生時代 郡山の稲作のはじまり 上の写真はいったい何だろう。 何か植物の種みたいなものがあるよ。 博士、教えてください。
はい、これは土器についた稲のもみ跡だよ。 大槻町の福楽沢遺跡から発見されたんだよ。 郡山でも当時稲作が行われていたんだよ。
郡山の稲作がどのように行われていたのか。郡山出土の遺跡から探ってみよう。
▲弥生土器(大槻町柏山遺跡出土)郡山には弥生時代の遺跡が発見されており、特に河川沿いに点在しています。 遺跡からは薄くて硬いという特色の弥生土器などが出土しています。
稲作は紀元前300年頃に大陸から九州にその技術が伝来し、福島県に伝わったのは、弥生時代の 中期頃と推定されています。 弥生時代の水田跡は郡山市内ではまだ見つかっていませんが、土器の表面についたもみ跡や稲穂をつみ 取る石包丁が発見されており、弥生時代に郡山でも稲作が行われていたことが分かっています。
▲石包丁(三穂田町出土・円寿寺)弥生時代になると水田耕作をするようになりました。 住まいも定着し数多くの集落もできたようです。また集団墓地もつくられ、大槻町の柏山遺跡や福楽沢遺跡 で墓地が出土しました。また糸を紡ぐための紡錘車(ぼうすいしゃ)も見つかっています。
▲土製紡錘車(下永田B遺跡出土)[フィールドワーク]
○御代田式土器
○石包丁 円寿寺所蔵