平成13・14年度版 ふるさと郡山の歴史 -014/041page
4 奈良・平安時代
▲清水台遺跡出土品この形、どこかで見たことあるよ・・。 いったい何だったかな。あっ、分かった!ほら、窓から見えるんだ。家の上にあるよね。 これって、家の屋根にある瓦(かわら)じゃないのかな?
よく気がついたね。そうなんだ、みんなの家の屋根にもある瓦なんだよ。でも瓦は瓦でも、ちょっと違うんだ。 実はこの瓦は、今からおよそ1200年ほど前の瓦なんだよ。
この瓦から、いったいどんなことが分かるのだろう?この瓦が作られた時代、郡山市はいったいどんなところだったのだろう?
▲清水台遺跡の範囲郡山市の古くからの中心地、合同庁舎通りと桜通りの交わる辺りから赤木小学校にかけて(下図参照)、 大きな遺跡があることが分かりました。それが「清水台遺跡(しみずだいいせき)」です。 清水台遺跡は、奈良・平安時代を中心とした遺跡です。上の瓦は、その清水台遺跡の中から出てきたものです。 瓦は、今ではめずらしいものではありませんが、奈良時代には一部の建物にしか使われていませんでした。 その建物とは、今の役所です。重要な建物にしか使われなかった大変貴重なものだったようです。 この瓦から、清水台遺跡が、地方の政庁(役所)である郡衙(ぐんが)である可能性が出てきました。
▲「厨」の字のある土器
そして、下の写真を見てください。字が書いてあるのが分かります。この字は「厨(くりや)」という字です。
「厨」とは、今で言う「厨房」、つまり台所のことです。ここで料理を作り、中央の役人たちをもてなしたりもしたと 考えられています。清水台遺跡のあった場所が、当時地方の政治の中心地である郡衙(郡の役所)とすると、この郡衙は「安積郡衙(あさかぐんが」である可能性が高く、『郡山市』の名前は、この「郡衙」から付いたものです。
▲安積郡衙・厨房想像図奈良時代の郡山市には、役所である安積郡衙があり、中央の奈良と、東北地方の中心地である多賀城(宮城県) を結ぶ重要な位置にあったことがはっきりしてきました。清水台遺跡はまだ発掘がつづけられているから、 これからも奈良時代の郡山市のことについて、多くのことが分かると思います。