平成13・14年度版 ふるさと郡山の歴史 -024/041page

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9 明治時代

大久保神社

▲大久保神社

まさおくん

この写真は郡山市にある神社なのかな 神社の名前は何だろう?

博士

これは郡山の安積町の牛庭地区にある『大久保神社』と呼ばれる神社だよ。 明治の元勲、大久保利通の功績を称えたものだね。郡山と大久保利通とのかかわりを調べてみよう。

明治初期の開成山大神宮境内

▲明治初期の開成山大神宮境内

江戸時代より農民の間での水争いが絶えなかった郡山では、猪苗代湖の豊富な水資源を利用し、広大な原野を開拓する 壮大な計画がありました。明治9年(1876年)明治天皇の東北巡幸を機会にこの地を見聞した大久保利通らは、 安積開拓が政府事業として有望であることを認め、ついにその3年後、安積疎水の工事が開始されました。 この工事は着工以来2年8ヶ月の歳月を経て完成しました。完成までの総工費は当時の金で約40万7000円、 動員された人数は延べ85万人でした。これより、3万石といわれたこの辺り一帯の米の収穫量が30万石まで 増えることになりました。

「岩が根をくだきておとす猪苗代の水は黄金の種とならん」

安積疎水の通水式で詠まれた歌です。

この通水式では、岩倉具視などの政府高官が出席したほか、麓山公園では舞踏会が催され、有志寄付の200発 の花火が打ち上げられました。開成山大神宮に代表される、この当時建てられた神社などから、地元の人々や各地方から 移住してきた士族たちの「新天地郡山」にかける情熱をうかがい知ることができます。

明治15年に完成した当時の麓山公園

▲明治15年に完成した当時の麓山公園

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