平成13・14年度版 ふるさと郡山の歴史 -031/041page
戦後の郡山の発展について調べよう
郡山市の合併から
地 図
戦後、昭和28年(1953年)町村合併促進法が公布されて、これにより、現在郡山市域となっている地域は それぞれ合併にふみきりました。これらの合併は昭和40年(1965年)安積10ヶ町村および中田村・西田村の 合併によって完成しましたが、これ以降郡山市は東北地方有数の中核都市としての姿を整えたと言えます。
【リサーチ】
1.当町村合併によって郡山市の人口と面積はどのように変化したか、下の資料からまとめてみよう。
新興住宅地の世帯数・人口の推移 学校 区分 昭和35年 昭和40年 昭和46年 世帯数 人 口 世帯数 人 口 世帯数 人 口 開 成 956 3,998(人) 1,353 5,274(人) 2,473 6,788(人) 采 根 1,044 4,104 1,746 6,226 2,676 7,788 下 亀 田 16 91 130 471 350 1,150 鶴 見 担 580 2,283 899 3,112 1,270 3,525 名 倉 99 432 190 715 440 1,369 深 沢 523 2,286 693 2,516 913 2,609 山 根 町 159 698 348 1,109 404 1,006 富 田 922 4,329 1,372 5,958 2,993 10,418 福山町久保田 1,795 7,949 2,546 10,215 4,300 13,342 田 村 町 714 917 324 1,323 861 2,517 〃 徳定 191 913 300 1,084 1,411 2,529 安積町日出山 332 1,456 573 2,008 1,639 4,282
昭和30年以降の学校建築状況
学校名
開校年月
児童数
学級
人数(人)
薫
31,4
26
978
桜
38,4
28
1,038
桑 野
43,4
28
1,041
行 徳
45,4
12
463
永 盛
46,4
12
731
大 成
48,4
24
882
大 島
51,4
26
1,030
柴 宮
51,4
33
1,328
安積第三
55,4
15
538
富田東
57,4
郡山市の合併時の面積、人口 地 域 面 積 世 帯 人 口 旧 郡山 19.85ku 15,065 75,956(人) 大 槻 16.23 1,008 7,479 富 田 6.43 640 3,415 岩 江 10.29 551 3,458 蒲倉・荒井 1.75 81 570 水門・太平 1.19 121 714 計 55.74 17,466 91,592 2.戦後の郡山市の歴史年表を参考に、郡山市の発展の様子について話し合ってみよう。
【フィールドワーク】
昭和28年 (1953) 郡山でテレビが見られるようになった。 30年 (1955) 郡山市と富田・大槻・高瀬・岩江が合併 ★1955年:人口91,119人 32年 (1957) 国道4号線が開通 33年 (1958) 市民会館・図書館の開設 34年 (1959) 東北本線が電化 37年 (1962) 三森峠が開通 39年 (1964) 新産業都市に指定される 40年 (1965) 安積10ヶ村と中田村・西田村が合併 ★1965年:人口223,183人
○「郡山の歴史」 郡山市教育委員会
○この頃の郡山市の様子について、家族の人などに聞いて、聞き取り調査をしよう。