歴史と文化の薫るまち 須賀川 -003/013page

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[国] 銅鐘【どうしょう】(千用寺)

銅鐘

 元禄(げんろく)10年(1697)須賀川宿中町の藤井惣右衛門が発起人となって千用寺に時の鐘として寄進したと伝えられている銅鐘です。 藤井惣右衛門家は町役人として代々時鐘関係を取り仕切っていたらしく、安政4年(1857)の町益金(当時の町予算の財源)所調控によると 藤井惣右衛門が時鐘管理金について差引整理した記録が残されているとともに鐘撞人【かねつきにん】は、 町会所【まちかいしょ】から給金をもらっていたことなどがわかりました。千用寺は現在諏訪町にありますが、 当時は町の中央部である中町にあったことから、須賀川宿全体に聞こえる千用寺境内に時鐘を設置したものと考えられます。

[県] 蝦夷穴古墳【えぞあなこふん】

蝦夷穴古墳

 この古墳は、現在、墳丘裾部【ふんきゅうすそぷ】が削平されているため当時の形を留めていませんが、直径約36m、高さ約4〜5mの円墳と考えられます。 死者を埋葬する横穴式石室【よこあなしきせきしつ】は墳丘の南南東に開口(当時は埋葬後閉じる)しており、 入り口から石室の奥壁まで約11mもあり東北地方では最大級のものです。石材は、凝灰岩で奥壁の一枚と天井石の2枚は特に巨大で、 当時の土木技術水準の高さをみることができます。石室からの出土品は明治時代の発掘 により、金銅製頭椎大刀【こんどうせいかぶつちたいとう】をはじめ多数の副葬品が発見されたことから、 当地方を支配していた有力な豪族の墓であった考えられています。なお出土品は、現在東京国立博物館に収蔵されています。

[県] 古寺山の松並木【こでらさんのまつなみき】

古寺山の松並木

 この松並木は、大字上小山田にある古寺山白山寺【こでらさんはくさんじ】の参道の両側に植栽されたもので、赤松の大木を主とし、 杉の大木を若干混じえた並木です。ほとんどが目通り幹回り2〜3m樹高20〜25mで、最大のものは目通り幹回り4m、樹高30mもあり、樹齢は200〜300年に達しています。 これらの赤松は、樹肌が赤茶色で樹冠【じゅかん】は傘状【かさじょう】をなした見事なものばかりで、植栽間隔は短いが赤松の並木としては高い価値があります。 またこの松並木の付近には、鎌倉時代の板碑【いたぴ】が数基あり当時の地方信仰の場としても重要です。 古寺山自奉楽【こでらさんじほうらく】は、この松並木の参道を通って白山寺に向かいます。


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