歴史と文化の薫るまち 須賀川 -004/013page
[県] 西川の太郎マツ【にしかわのたろうマツ】
目通り幹回り約3.2m、樹高約9m、樹冠【じゅかん】は東西17.7m、南北18.3mのほぼ円形をした傘状【かさじょう】の見事な赤マツで、樹齢700余年といわれています。ま た、樹肌は赤茶色で亀甲【きっこう】状をしており、岩瀬地方の赤松の特徴をよく表しています。この松には、今から約700年前の鎌倉時代、二階堂家の青年武将 太郎行俊【たろうゆきとし】と恋人さくら子にまつわる悲恋物語が伝えられています。幕府の命により京に出任した太郎行俊は、悪人の罠にはまり故郷の陣場山(現在県 立須賀川桐陽高等学校の校舎のある地)で殺され これを知ったさくら子は供養のため一本の松を植え自分も自害してしまいました。太郎マツはこの 時のものといわれています。
[県] 石造双式阿弥陀三尊来迎供養塔
【せきぞうそうしきあみださんぞんらいごうくようとう】この供養塔は、鎌倉時代の末法思想【まっぽうしそう】の影響を受け、阿弥陀如来【あみだによらい】を信仰し極楽往生【ごくらくおうじょう】を願う目的で建立されたものです。板状の石面の中央部 から二つに分け、それぞれに三尊仏を浮彫にしています。中尊【ちゅうそん】に阿弥陀如来、向かって右側には蓮台【れんだい】を捧げた観音菩薩【かんのんぽさつ】、左側には合掌する 勢至菩薩【せいしぼさつ】が脇侍【わきじ】として飛雲【ひうん】に乗り、死者を西方【さいほう】の極楽浄土【ごくらくじょうど】に導いてゆく状態をあらわしています。仏はすべて立ち姿で飛雲に乗っているこ とから、一刻でも早く極楽浄土へ往生したいという当時の人々の願いがあらわれていると考えられます。
[県] 双式浮彫阿弥陀三尊来迎供養塔
【そうしきうきぼりあみださんぞんらいごうくようとう】この供養塔は、幅約1.4m、高さ約1.3mで碑面を中央で左右に分け、左右それぞれの面に阿弥陀如来【あみだにょらい】を中心に左に勢至菩薩【せいしぼさつ】、右に観音菩薩 【かんのんぽさつ】の三尊が浮彫にされています。左側の三尊仏は死者を弔う追善供養【ついぜんくよう】、右側は生前に往生を願う逆修供養【ぎゃくしゅうくよう】として建立されており、いずれも 立ち姿で飛雲に乗り、一刻でも早く成仏したいという人々の願いがあらわれています。又、左の三尊仏の勢至菩薩が長い柄のついた天蓋を 持つ図柄や建立目的を示す銘文、嘉元三年(1305)乙巳九月廿五日相当三十五日の年記を有する等鎌倉末期の当地方での阿弥陀信仰を示す貴 重な資料です。