歴史と文化の薫るまち 須賀川 -005/013page

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[市] 神成横穴古墳群【かんなりよこあなこふんぐん】

神成横穴古墳群

 本横穴古墳群は舘ケ岡から郡山市に通じる県道木ノ崎本宮線の市境にある丘陵の南斜面に造られています。横穴古墳は自然の丘陵を利用して掘り込 んだ遺体埋葬用の穴で、古墳時代後期になってから 盛んに造られるようになり、群をなすのが特徴です。この古墳群は、南崖面約300mに及ぶ広さ を持つと考えられています。発掘調査の結果、玄室【げんしつ】(遺体を安置する部室)は不整な台形や長方形の平面形を持ち、天井部はアーチ型をしていました。 また副室を備えたものも検出されています。副葬品【ふくそうひん】は鉄鏃【てつぞく】、釘【くぎ】、坏【つき】、大甕【おおがめ】等が発見されています。 横穴古墳は市内に数ケ所確認されていますが、当時 の家父長家族を背景とした地域的・政治的集団の統率者・族長クラスの共同墓地と考えられています。

[市] 和田大仏及び横穴古墳群【わだだいぶつおよびよこあなこふんぐん】

和田大仏及び横穴古墳群

 阿武隈川西岸の丘陵岩壁に彫られた磨崖仏【まがいぶつ】で、高さ3.6mの阿弥陀如来【あみだにょらい】といわれていますが、仏像の保存状態がよくないため定かではなく、 一説には大日如来【だいにちにょらい】を唱える人もいます。伝説によると、大仏は大同【だいどう】3年(808)弘法大師【こうぼうだいし】が 諸国行脚のときに彫ったと伝えられています。ま た、古記によると乳不足の婦女子が大仏の乳部を削り、粉を煮立てて飲むと乳がでるようになるという信仰があったようで、 当時の人々の 生活に密接な関わりをもっていたことが伺われます。この大仏の彫られた崖面一帯には古墳時代に造られた横穴墓が名数点存しています。

[市] 舘ケ岡磨崖仏及び供養碑群【たてがおかまがいぶつおよびくようひぐん】

舘ケ岡磨崖仏及び供養碑群

 この磨崖仏は、安山岩の崖面を彫って造られたもので、和田大仏と並ぶ当地方の代表的な磨崖仏です。像の高さは約2.2m、肩幅約1.2m と和田大仏と比較してやや小柄な阿弥陀如来座像ですが、固い安山岩でできているため保存状態がよく仏の姿がはっきりしています。顔部 は目や耳の線がはっきりして、肩から膝へと流れる外郭線はおおらかで鎌倉時代の仏像の特徴をよくあらわしています。また、大仏の周囲 からは磨崖供養碑と考えられる梵字や蔓陀羅の刻まれた壁面が崩れ落ちた状態で点在しており、現在も人々の信仰を集めています。


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