歴史と文化の薫るまち 須賀川 -006/013page
[市] 大塚古墳【おおつかこふん】
この古墳は市内に点在する古墳の中でも、大字和田地内にある蝦夷穴古墳【えぞあなこふん】と並んで大きく、現在墳丘裾部【ふんきゅうすそぷ】が削り取られているため当時の 形を留めていませんが、直径約30m以上の円墳だったと考えられます。死者を埋葬する横穴式石室は、墳丘の南に開口し、入口(羨道部【せんどうぷ】)か ら石室【せきしつ】(玄室【げんしつ】)の奥壁まで約8m、石室の高さ約2mで、蝦夷穴古墳の石室とほぼ同じ規模をもっています。石材には凝灰岩を使用し、奥壁・ 床・天井・側壁の一部には巨大な一枚石を使用し、そのほかの外壁などには比較的小さな割石を積み上げています。6世紀後半ごろに築造さ れた当地域の有力な豪族の墓であったと考えられます。
[市] 団子山古墳【だんごやまこふん】
この古墳は阿武隈川東岸に向かって張り出した舌状台地の先端裾部を利用し、円形に整形して造られたものと考えられています。直径約40m、高さ約10mの堂々たる円墳で墳丘からは築造当時に土留めや墓域の区画、装飾などの目的で並べられていたとおもわれる円筒埴輪【えんとうはにわ】の 破片が数点発見されています。現在まで盗掘された形跡もなく、発掘調査もされていないため、保存状態は良好ですが、一方不明な点も多 く、これを解明するための地中レーダー探査による非破壊調査も実施されており、古墳内部の石室や周溝などとおもわれる影像が捕らえら れています。
[市] 岩瀬牧場玉蜀黍貯蔵所【いわせぼくじょうとうもろこしちょぞうしょ】
明治13年岩瀬郡鏡田村から前田川村にかけての六軒原【ろっけんはう】と呼ばれる原野一帯に、宮内省御料局直営の御開墾所が設置され、牧畜用農具及び 乳牛をオランダから直輸入して欧州式大農経営が開始されました。このとき建築されたのが玉萄黍貯蔵所で、高床式の格子壁を持つかやぶ き屋根の倉庫です。現在2棟が残っており、建物の床面積は東側の棟が33²、西側の棟は59.433²あります。床高90cmの高床式のため、湿気 や小動物から庫内のものを守ることができ、さらに格子状の壁面からは適度な空気が出入りし、食物などの貯蔵保存に適していたと思われます。