1999 須賀川市勢要覧 「和 TAIWA」 -003/044page
太平の世、須賀川商人は、自由闊達な精神に経済力も相まって、独自の町人文化を花開かせました。
明治元年、戊辰戦争では大きな打撃を受けましたが、須賀川人の気風によって明治の近代化に尽くし、新たな時代を導きました。
明治22年、須賀川町発足。そして、昭和29年3月31日、隣接する4か村と合併し、須賀川市が誕生しました。その後2か村と合併し、昭和42年に現在の市域となりました。
現在の須賀川市は、東部に住宅地と農業地帯が、西部に住宅地と工業地帯が、また、東西の郊外に田園果樹地帯が広がり、花と緑あふれる自然環境のもと、約6万6千人の市民が生活しています。
市の中心街では、その歴史を物語る商家を残しながら、ハイセンスなビルが建ち並び、にぎわいをみせる一方、静けさと緑に包まれた市民憩いの都市公園や神社仏閣が至るところに点在しています。とりわけ、世界一の「須賀川の牡丹園」は、市民の誇りです。
人と自然が優しく溶け合う「花と緑のまち」、すかがわ。いま、市民みんなが一丸となって、このまちの新しい可能性を切り開いていますが、その幕開けとなったのが、平成5年の3月20日でした。市内東部に全市民待望の「福島空港」が開港したからです。
「花と緑のまち」から「花と緑の臨空都市」へ。須賀川市は、市域全体の均衡ある発展を念願に、空港を核とした、人と自然が温かく触れ合う豊かなまちづくりにまい進しています。
人と自然が向き合い、語り合うまち。