1999 須賀川市勢要覧 「和 TAIWA」 -024/044page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

400余年の熱い息吹きが勇壮無比の炎となり、晩秋の一夜、天空を赤々と焦がす。

松 明 あ か し

松明あかし

武者行列




祭り

[須賀川城落城慰霊の火祭り]

 天正17年(1589)10月、会津の黒川城(現在の鶴ヶ城)を攻め落とした伊達政宗は、その余勢をかって須賀川城に攻め寄せました。当時、須賀川城は、政宗の伯母に当たる二階堂盛義の未亡人・大乗院が居り、その造りは、四方を崖に囲まれ、容易に破られるものではなかったと伝えられています。

 しかし、重臣の謀反により、10月26日未明、落城。4百年にわたり須賀川地方一帯を支配した藤原鎌足の子孫・二階堂氏も、ついにその歴史を閉じることとなったのです。この日より16日前の10月10日の夜、抗戦を決意した大乗院は、家臣を城の東の丘に集結させましたが、そこには、手に手に松明をかざした農民や町民も大勢集まりました。

 以来このことにちなみ、領民たちは、むじな狩りにこと寄せて、慰霊の火祭りを


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は須賀川市教育委員会に帰属します。
須賀川市教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。